ひとり歩きの中山道
追分宿〜岩村田宿
(1998.4.30〜5.2)

 今,旧中山道を歩くのに魅せられている.旧街道の面影が残っているところを,少しづつ歩いているのだが,今のところ,江戸日本橋から京都三条までの中山道全線を歩こうとは思っていない.
 中山道ひとり歩きのそもそもの始まりは,今から2年ほど前,馬籠宿と妻籠宿の間(2里=約7.8km)を歩いたのが始まりで,昨年の夏休みには,薮原宿から奈良井宿までの鳥居峠越え(1里13町=約5.3km)をした.今回は追分宿(長野県軽井沢町)から岩村田宿(長野県佐久市)までの2里17町(約 9.6km)を歩くことにした.

◇ ひとり旅のプランニングは念入りに ◇

 目的が決まれば,次にスケジュールである.ひとり旅というと自由気ままな旅を連想するが,実際にはパートナーがいないひとり旅だからこそ,ある程度の計画は立てておいたほうがよい.そこで立てたのが次のような計画である.

 1日目は,長野の小布施や須坂の古い街並を歩こう.
 2日目は,今回の旅のメインである,中山道の追分宿から岩村田宿までのひとり歩き.
 そして最終日は小海線沿線の名所探索.

といった2泊3日の旅である.この時点で,追分から岩村田までの距離,どちらからどちらに向かったほうが楽に歩けるか.雨が降った場合の対策…等々は調べたり考えたりしておかないと,あとで後悔することになる.
 次は宿の手配である.実はひとり旅の最大のネックは宿にある.温泉などの観光地の旅館は「おひとり様おことわり」の所が多いのだ.最近はひとりの宿泊客を受け入れてくれるところも少しづつ増えてはいるが,お盆,正月,GWなどのピーク時の宿泊は難しい.そこで,ビジネスホテルやシティホテルなどを利用することになる.今回も長野市内のホテルを利用することにした.
 宿は旅行会社を通して予約するのが私のスタイルである.その理由は,希望の条件を伝えれば,適当な宿をコンピュータで探しだしてくれるし,宿の評判や部屋の広さなども旅行会社でわかる.そして宿泊代金をクーポン券にして,持ち歩く現金を少なくできるからである.今回の旅では2泊とも長野市内のホテルを予約した.移動には長野新幹線にも乗れる「妙高・軽井沢ゾーン周遊きっぷ」を使うことにした.

◇ 北斎が愛した町・小布施 ◇

 ゴールデンウィークの4月30日,名古屋駅7時10分発の「しなの1号」で信州へと旅立った.私の乗った車両は,長野オリンピックを機に導入された,新型の振り子式車両で,カーブでもスピードを落とさずに走ることができるスラローマーである.定刻より少し遅れて,綺麗になった長野駅に着いた.長野からは長野電鉄に乗り換え小布施へ向かう.
 小布施はかつて幕府御用達の栗の町であったが,葛飾北斎が数度訪れたところでもあり,道路のマンホールの蓋も浮世絵風である.北斎館,高井鴻山記念館,岩松院,おぶせミュージアムと見てまわり,最後に新生病院の蔦の絡まる礼拝堂へ立ち寄った.そのあと須坂の蔵の町並みを見て長野へ戻った.

小布施の浮世絵風マンホール

新生病院の礼拝堂(小布施)

◇ 中山道 追分宿 ◇

 2日目(5月1日).天気は西から下り坂との予報であったが,何とか雨は降らずに一日もちそうであった.
 今回の“ひとり歩きの中山道”の起点,追分宿へは,長野から軽井沢まで長野新幹線で行き,軽井沢からしなの鉄道で信濃追分まで戻るルートをとった.昨日の長野は初夏の陽気で,半袖姿で歩く人も見られたが,今日の軽井沢は肌寒く人影もまばらであった.あと2ヶ月もすれば,町は避暑を過ごす人でごった返すはずである.
 信濃追分駅には9時39分に着いた.ここから中山道までは,別荘地の中の緩やかな上り道を歩く,そして国道18号線をくぐった所が中山道追分宿である.追分宿の東側の入口にあたる一里塚のところまで一旦戻り,いよいよ中山道ひとり歩きの始まりである.
 追分の一里塚は国道18号線を挟んで1対あり,昔の街道の道幅がかなり広かったことを想像させる.一里塚から少し西のガソリンスタンドの手前から,旧道は国道18号線と別れ追分宿へと入る.まもなく右手に追分宿郷土館の建物が見える.ここで追分の歴史を学んだ後,ふたたび旧街道を西に向かう.宿場の中ほどには,作家堀辰雄が晩年を過ごした建物が残り,堀辰雄文学記念館となっている.さらに西には,かっての旅籠である骨董品店「時幻」がある.「時幻」のご主人と「こんにちわ」とあいさつを交わす.さらに西に歩くと,かつての枡形茶屋が残り,そのすぐ先で北国街道との分去れがある.この約1kmの追分宿を,追分宿郷土館や堀辰雄文学記念館などを見ながら,約1時間半かけてゆっくりと歩いた.
 分去れのすぐ西で旧道は国道18号線から別れ,緩やかな下り坂となり,しばらくは背後に浅間山が見え隠れしながらついてくる.おそらく昔の旅人も同じように浅間山を見ていたのでは…と思うと,感慨深いものがある.御代田の一里塚の手前で,急な坂道を下り,浅間山は視界から消えた.

追分の骨董品店「時幻」

追分の分去れ(右 北国街道)

◇ ひとり旅の食事を何となくリッチな気分で ◇

 さて,ひとり旅が抱える大きな問題のひとつとして,食事時間のわびしさがある.旅人の心情としては,旅先ではその土地の味覚を堪能したい.でも食事は大勢で食べるほど美味しいし,ひとりでは話し相手もいないので,あっという間に食べ終わってしまう.ひとり暮らしの私にとって,ひとりだけの食事には慣れているが,大勢の中でのひとりだけの食事は,まわりの人たちが楽しそうに見え,自分だけが浮いているように思えてくる.それでも,昼間は老舗といわれる店でも比較的入りやすいので,昼食はその土地の味覚を味わう事も多いが,今日の昼食はコンビニで弁当を買い,景色のいいところで食べることにした.これはこれで何となくリッチな気分になれる.
 ちなみに,夕食はデパートの地下食料品売り場にでかける.最近はデパートの食料品売り場も充実していて,駅弁を買うよりも安く土地のものが揃う.そして,ホテルへ戻り,ひと風呂浴びてから,ビールを飲みながら味わう.ひとり旅では昼間はアルコールを口にしないことにしているので,夕食時には思う存分ビールを飲む.余談になるが,出張や旅行で東京に出かけたときには,帰りの新幹線に乗る前に,八重洲口の大丸の地下食料品売り場「ほっぺタウン」で弁当とビールを買い込むことにしている.

◇ 姫の宿・小田井 ◇

 さて,話を中山道に戻そう.昼食は御代田駅近くの龍神の杜という公園で,ベンチに腰掛けて,コンビニで買った弁当を食べた.遠くの名前の知らない山々を眺め,心地良い風にあたりながら食べる弁当は,『格別!』とまではいかないまでも決して悪くはなかった.食事と休憩の後,また歩き始め,20分程で静かな佇まいの小田井宿に着いた.
 小田井宿は,旅篭5軒の小さな宿場だったが,大名が追分に宿をとる喧噪を避けて,宮家や公卿の姫君が泊まったことから“姫の宿”という名で呼ばれた.江戸に降嫁する皇女和宮も,ここで休息をとったという.観光的な施設は何もないが,江戸時代の面影を残す建物も残っており,その多くは,今でも人が住んでいて,宿場町が暮らしの中で生き続けていた.
 小田井宿を後にしてしばらく歩くと,中山道は県道と一緒になり,歩道もないので路側帯を車の排気ガスを吸いながら歩かねばならない.上信越自動車道をオーバークロスし,岩村田(佐久市)の町に入る.岩村田は内藤家1万5千石の城下町であったが,旅篭が8軒しかない小さな宿場であり,その名残はほとんど見られなかった.
 今回の中山道ひとり歩きは,この岩村田までとし,岩村田発14時32分のJR小海線に乗った.今朝,信濃追分の駅に降り立ってから約5時間が経過していた.佐久平からは長野新幹線で長野へ戻った.
 次回(1998年夏)はどこを歩くかまだ決めていないが,いつかこの続きを歩くつもりでいる.

◇ もう一つの五稜郭・龍岡城 ◇

 3日目は中山道から離れて“五稜郭”を見ようと,再び長野新幹線とJR小海線を乗り継いで臼田へ向かった.五稜郭といえば函館があまりにも有名であるが,日本でもう一つ五稜郭がある.松平乗謨が築いた龍岡城である.築城資金が途中で底をついたため,裏手では堀も築かれていないが,正真証明の五稜郭である.きれいな星形をした城跡を,歩いて一周してみることにした.城跡は小学校になっており,校舎の裏まで来ると,窓から小学生が手を振ってくれた.そして,一周して戻ってくると,校庭では低学年の子供たちが体育の授業の最中であった.こんな歴史のあるところで,遊んだり,勉強したりできる子供たちがうらやましくなった.しばらく体育の授業を勝手に見学させてもらってから帰路に着いた.

「五稜郭」龍岡城の堀

田口小学校の校庭(龍岡城跡)

(JIC社内誌「親和」1998年7月号に掲載されたものに一部加筆修正しました)


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