高宮宿〜愛知川宿
(2000.5.28)

 5月28日(日曜日).この日,学生時代の友人と京都で学生野球を見る予定だったので,京都へ向かう途中,ちょっと寄り道をして中山道の高宮から愛知川までを歩いてきた.

◆ 日曜朝の高宮宿 ◆

 JRを彦根で降り,8時39分発の近江鉄道で高宮に向かった.2両編成の車内はジャージ姿の女子高生で込みあっていたが,その女子高生たちが最初の停車駅の彦根口で降りてしまい.車内は空席が目立つようになった.そして次の駅が今日の中山道の起点の高宮である.
 高宮駅からは多賀大社へ向かう支線が出ているが,今日は時間もあまり無いので,改札を出てまっすぐ中山道に向かった.駅からの道が中山道に出るあたりの街道には古い建物が残り,道が緩やかにカーブしていて,何度見ても良い景観である.先月訪れた時は,ちょうど高宮神社の祭礼で宿場内は人で溢れかえっていたが,今日は「普段の日曜の朝」という感じで,ひっそりと静まり返っていた.
 4月に当地を訪れた時は高宮神社へは寄っていなかったので,中山道を右に折れ参道へ入っていった.参道の左手には立派な建物の旧大庄屋がある.高宮神社の境内は以外と広く,想像していたより大きな社であった.本殿で手を合わせて,この先の道中の安全を祈った.
 参道を戻り愛知川をめざして西へ向かう.多賀大社の一ノ鳥居や本陣跡までは4月に歩いているので,特に立ち止まることなく通り過ぎる.犬上橋の手前で道幅が広くなり,桝形の跡かも知れないと思いながら犬上川に出た.ここまでが高宮宿である.

近江鉄道彦根駅構内 高宮神社 提灯製造「馬場」

近江鉄道彦根駅に並ぶ電気機関車

高宮神社

提灯製造の「馬場」(高宮宿)

◆ 時代を見てきた松並木 ◆

 犬上川にかかる高宮橋は,天保年間に人々の義援金により架けられ,渡賃をとらなかったため無賃橋と名付けられた.橋のたもとの「むちんはし」と書かれた石碑には天保3年と刻まれていた.犬上川は南から北へ向かって流れ,琵琶湖へと注いでいる.太平洋側に住む者にとって南から北に流れる川の流れは少し新鮮に映る.
 高宮橋を渡ると道幅が広くなった.この辺りが法士(ほうぜ)町,そして葛籠(つづら)町とつづく.昔はつづら,行李,団扇などが名物であったらしいが,いまでも木工工場が目につく.葛籠町で入り口に「不許酒肉五辛入門内」と書かれた石碑の建つ小さなお寺(真言宗 延命山月通寺)があった.なんとなく頑固そうな和尚さんの顔が目に浮かぶような気がした.
 葛籠町の集落を過ぎると,ところどころに松並木が残っている.並木の下の道は鋪装され自動車が行き交っているが,いくつかの世紀を越えて中山道の移り変わりを見てきた松だと思うと,人間の命の短さを感じてしまう.出町という集落に入ると道の右側に,水車のあるあづまや風の小さな公園があった.ちょうど歩き始めて1時間ほど経っていたので,腰をおろしてしばし休憩した.

無賃橋

月通寺

松並木

高宮橋(無賃橋)

延命山 月通寺

松並木

 ふたたび歩き始めて,間もなく豊郷(とよさと)町に入った.豊郷に入って最初に眼に付いたのが,左手に見える豊郷小学校である.ひと目では小学校とはわからないほど立派な建物である.そして,豊郷の中心部に入り町役場の前を通り過ぎると左側に「くれない公園」がある.豊郷は丸紅,伊藤忠商事の創始者伊藤忠兵衛の出身地であるため,昭和10年に丸紅の支配人たちがこの公園を造った.50m程先の中山道沿いに伊藤忠兵衛の生家があるが,内部は公開されていないようであった.その少し先に街道に沿ってお蕎麦屋さんがあり,店内から良い香りが漂って来た.
 少し行くと江州音頭発祥の地の碑がある.私は江州音頭とやらを知らないが,この地が発祥地だそうだ.道が少し上り坂になり宇曽川を渡ると,あと1.5kmほどで愛知川宿である.宿場の入り口の三叉路を左に行くと近江鉄道の愛知川駅だが,中山道は右に行く.そこから中山道を少し歩くと愛知川小学校が右手に見える.ここから中山道をはずれ愛知川駅に向かった.
 愛知川駅は今年(2000年)の3月に新しい駅舎ができたばかりで,郷土物産展示スペースやギャラリーを併設したコミュニティハウスとなっていた.

街道沿いの休憩処

白壁と煉瓦煙突の造り酒屋

近江鉄道愛知川駅

所要時間 約2時間半


スーパー,コンビニ情報

彦根駅:駅前に平和堂AL PLAZA.ファーストフード,コンビニ,飲食店も多数.
高 宮:宿場内の街道筋に商店多数.

交通情報

高 宮:JR彦根駅から近江鉄道で2駅
愛知川:JR彦根駅から近江鉄道で15分.JR近江八幡駅から近江鉄道で30分.


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